神はサイコロを振らないーニセモノたちの戦いー
しゃべくりセブンの浅野忠信がかっこいい。
こんばんは。yuihannです。
さて、昨日のブログで「次はなんかいい感じに書きます…」って言ったので。真面目に書きます。…いい感じってなんや、曖昧さの塊か。
今回書くのは「神はサイコロを振らない」というバンドについて。
ご存知の方、いらっしゃいますか?もし知ってるーって方、めちゃくちゃ友達になりましょう(差し出す手)
↓ではどうぞ!↓
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初めてこの名前を見たとき、いや振れよ、とひとり心の中でツッコミを入れた。
2015年10月、友達と旅行の途中休憩しようと入ったファミレスで「あー、そういえばこのバンドいいよ。」と友人が勧めてくれた。それが彼らとの出会いだった。
友人が聴かせてくれたのは、YouTubeに公開された56秒の音源。ファーストデモのトレイラーらしい。そのたった56秒、1分にも満たない「それ」は一瞬でわたしをとらえた。虜にした。肩が震えた。目頭が熱くなった。友達の前だ、絶対に泣くものかと唇を噛んだ。
それからは毎日そのトレイラーを聴いた。耳にこびりつけばいい、頭からこの歌詞が離れなくなればいい、と思った。そして「この曲をフルで、ライブで聴いてみたい」と熱望した。
念願叶ってその年の12月、彼らのライブに行くこととなった。
その日はいくつものジャンルのバンドが出演するなか、わたしにとってその日の主役は彼らだった。
メンバーが真っ黒な服装で登場。
曲が始まる。
静かな「なにか」に包まれた気がした。
最初と曲は「静寂の空を裂いて」
ボーカル柳田が囁くように歌う。
<揺らぐ光が、揺らぐ旋律が僕を拒む>
なんて“酷く静寂な歌”だろう。
この作り込まれているのに嘘のない雰囲気はなんだ。
柳田が擦れるような声で英語を囁く、曲調が変わった。フロアの空気ぐ一気に変わる。その場にいた誰もが目を離せなくなった。
その瞬間、その空間は完全に「神サイ」のものだった。
「神はサイコロを振らない、始めます」
その日初めて「nihil」という曲を知った。
荒々しい演奏でスタートしたこの曲。
<すれ違う黒い布を羽織った溢れかえる影に反吐が出る>
そうまさしく吐き出すように歌いあげる。
なんだこれ。ステージに釘付けになる。なんだ、これ。
体が熱い、沸騰しているような感覚だった。
<僕の吐いた言の葉は全て虚ろで 紛い物の欠片を掻き集めただけ>
その歌詞が、一語一語が、ひどく刺さった。
生活のなかで、いつも心のすみで思っていたことだったからだ。
思っていたことを、言葉にして言い当てられた気がした。
ライブが一旦落ち着き、MCが入る。
「は〜いこんばんは〜福岡の神はサイコロを振らないですう」
訛りのある喋り方(宮崎出身らしい)でくしゃっと笑う柳田。
クスクスと笑い声が聞こえる。そりゃそうだ。先ほどまで観客の心を鷲掴みにしていた歌を歌っていた人物が、ふにゃふにゃ笑って宮崎弁訛りで話しているんだから。本当に同じ人物なのかと疑うぐらい。
和んだ雰囲気のなか、柳田が語り出す。
「僕には憧れのバンドがいます。そのひとたちに憧れてバンドを始めました。僕がどんなに進んで追いつこうとしても、彼らはその先を行く。これからももっともっと先に行くと思う」
「でも、だからって進むことをやめません。似てるとか、ニセモノとか言われても、ニセモノはニセモノなりにやるしかねえんだよ」
息を飲んだ。というより息ができなかった。
自分たちを「ニセモノ」だと言った。
それは同じ音楽で同じジャンルで、たとえ「似ている」と言われても、そのなかで、ステージで、堂々と戦っていくという彼らの決意表明に思えた。
最後の曲が始まる。
流れるギターのリフ。
あ、これ知ってる、と思った。
わたしはずっとこの曲が聴きたくて、この曲を聴きに今日ここに来たんだ。
あの日出会った56秒のトレイラー、何度も何度も聴いたその曲こそ「秋明菊」だった。
<明けない夜を望んだ 君の消えた部屋を想像してはそっと濁した 豊かさを得るためだけに君の愛し方さえ何処かへ置いてきた>
その日初めて知ったこの曲の序盤のメロディーと歌詞。
決して直接的ではないのに、胸を抉られるような気持ちになるのは何故だろう。こんなに悲しくなるのはどうしてだろう。
<緩みほころんだ糸は二度ともう縛られないように風に舞う雲に隠れるように 停滞と偽善と感情論がこの差異を切り離していく点と線で描かれる前の白紙へ>
気づいたら拳を挙げていた。自然と挙げてしまった。
あの日初めて「秋明菊」を聴いた日のことを思い出した。
体が熱くなって泣きそうになったあの日。
それを遥かに超える気持ちになった。
拳をあげながら泣いていた。
こんなに悲しいのに、強くなろうと奮い立たせるこの曲に出会えてよかったと思えた。
その日買ったたった100円よデモCDはわたしにとってはかけがえのない一枚だ。
2016年7月、彼らはファーストミニアルバムをリリースした。
タイトルは「anfang」
見慣れない単語だったので調べてみた。
<anfang(アンファング):ドイツ語で初め、始まりの意味>
ああそうか。これが彼らの始まりなのか。
この一枚が神はサイコロを振らないの始まりの一枚なんだを
わたしはこのタイトルに強い思いを感じた。
このアルバムの最後に「煌々と輝く」という曲が収録されている。
輝く未来への憧れや不安や希望の詰まった一曲だ。
<手を伸ばせば届くはずの未来 沈む夕日を背に漠然と願いを乞う>
この曲はアルバムのなかで最も希望の強い曲だとわたしは思う。
他の曲からうかがえる喪失感や悲しみ、ひねくれた感情論さなどはなく、あたたかい光のような曲だ。
<夜空に描く未来図は朧気に照らされた柔らかな陽だまりをそっと胸に抱いていた 空に手を伸ばしていた>
夢を語れば壮大だ、幻想だと言われる。
自分の未来像を話すことさえ怖がり躊躇してしまうわたしは、この曲に救われた。
困難は絶対にある。毎日毎日吐くほど不安だ。
けれどそんなことで諦めることができないのがわたしの夢だ。
わたしは、わたし自身の未来に希望を持ちたい。
2016年12月7日。
彼らはファーストシングル「ナスタチウムの花」をリリースした。
<反撃の合図なら待たないぜ この命朽ち果てるその日まで 戦いは終わらない>
丸い葉は盾、赤い花は血に染まった鎧。
ナスタチウムの困難に立ち向かう姿のように、彼らも戦う姿勢をやめない。
この先の険しい道に挑もうとしている。
<貴方とならば超えられる 夢物語も怖くない>
こちらに語りかけてくるような歌詞に胸を打つ。
共に行こう、とこの曲に連れ出されそうになる。
彼らの歩みは止まらない。これからも進み続けるだろう。
戦いはここからだ。
彼らが自分たちのことをニセモノだと言おうが、わたしは堂々と胸を張って言う。
「彼らこそ“本物”のロックバンドだ」
Vo/G・柳田周作
G・吉田喜一
Ba・桐木岳貢
Dr・黒川亮介
2015年8月福岡にて結成。活動開始。
同月ファーストデモ「秋明菊」トレイラーを公開。ライブ会場限定で販売され話題を集める。
その後各地ライブハウスにて活動。
2016年3月タワーレコード新宿店限定でワンコインCD「秋明菊/凧」をリリース。
同月「煌々と輝く」ミュージックビデオを公開。
6月には「秋明菊」ミュージックビデオを公開。
7月にはファーストミニアルバム「anfang」をリリース。
8月より各所9ヶ所のライブハウスにてリリースツアーを行う。
12月にはファーストシングル「ナスタチウムの花」をリリース。
2017年2月より4ヶ所をまわるツアーが決定している。
↓秋明菊トレイラー↓
↓秋明菊music video↓
↓煌々と輝くmusic video↓
↓ナスタチウムの花music video↓