お米ハン

ご飯のお話ではないです

大人になれないひとたちへ

22歳になった。決して子供とは言えない年齢。だからって大人だと胸を張れるわけじゃない。ちゃんとしよう、だって大人だから、でもまだ若いからやりたいことやってたい。

不安も迷いもあって夢だけ語ってても生活できない現実。毎日毎日何か得体の知れないものに追われているような恐怖。そしてなにがこわいって、こういうギラギラした年下が現れることだ。


Shout it Out

その名前を知った当時わたしは大学生でCDショップでアルバイトをしていた。「未確認フェスティバルグランプリ」と紹介文には書かれてあった。ひねくれ者のわたしはこういう賞を取ったとか大物アーティストがプロデュース、みたいな類を敬遠しがちだった。今思えば本当に良くない、勿体無い行為だ。

シャウトの名前で検索すると、その当時まだ十代でしかもわたしより年下。ふーんまあキラキラしてていいんじゃんぐらいにしか捉えていなかった。たぶん、ひとつしか歳の変わらないのにしかも年下なのに自分の好きな音楽やってキラキラとしているのが羨ましかったんだと思う。だからそのときは見つけたのに、見えないフリをした。


数年経ったある日。

わたしは動画サイトでシャウトを検索していた。

そのときのシャウトは元いたメンバーがふたり脱退してボーカルとドラムのふたりになっていた。それでも続けるという選択をした彼ら。ちょっと聴いてみよ、そんな程度の気持ちで再生ボタンを押した。


<白いシャツが風に揺れている/青葉のように僕ら息吹いている/校庭に咲いた花が茜に染まる/見慣れた家路四つ踵を鳴らす>

17歳』


青々しいワードたち。若いなあ、爽やかだなあ。初めに聴いたときはそのぐらいにしか思わなかった、のに。ずっと耳にこびりついていた。頭から離れなかった。ふとした瞬間サビを口ずさんでいた。あれ、もしかしてわたしこの曲好きなんじゃないか?そう思っていたら毎日聴いていた。


<大切なのは周りの目なんかじゃ無いだろう/卑怯に世の中を渡って自分を偽るくらいなら/丸腰でも不格好でもいいんだよ/いつか褪せるのなら君よ美しくあれ>


あまりにも直球な歌詞に、身体の真ん中を撃ち抜かれたような感覚。毎日聴いてリピートして、歌詞を覚えてしまった。

あれもしかしてわたし、シャウト好きになったんじゃないか?

自分の気持ちに気づいてしまった。「好き」の原動力は凄まじい。気づいたときにはCDショップで彼らのアルバムを買っていた。


そして今年の8月。

遂にシャウトのライブを見ることができた。


「大阪!堺!Shout it Out始めます」


ギターをかき鳴らしながら山内(Vo/Gt)が叫ぶ。


一曲目、わたしにとって初めてのシャウトのライブは、毎日毎日聴いて来た『17歳』から始まった。


<言葉を吐けば宙を舞う嗚呼なんて生きづらい世界だろう/アンタの言う「勝ち組」ってなにに勝てばそれを名乗れるの?>


こちら側を指差して、そう歌ったその目は真っ直ぐこちらを見据えていて、なんだかギクリとした。心の内に秘めていることを当てられた気分だった。


ライブも終盤に入ると、山内が口を開く。


「やらなきゃいけないことが書かれた紙があって。生活のなかで、ひとつひとつ、その項目を消していく。消していってもまた増える。でもライブハウスにいるときぐらいは、その紙を一旦置いといて、明日からまた向き合えたなら、ライブハウスって、音楽っていいなってそう思えたらいいと思います」


その瞬間肩の力がすっと抜けた。外のことも、生活のことも、一旦置いておくどころか忘れていた。頭のなかから吹っ飛んでいた。目の前でライブをしている彼らしか見えていなかった。


あの頃想像していた二十代とは全く違うけれど。それでも選択をして、この足で進んで来た。迷うこともあるけれど、不安なんて毎日ついてくるけど、それでも進んでいこう。生きていこう。

その日はShout it Outに背中を押された。


まだまだ青い。「大人」になりきれないクソガキだ。歳を重ねて言い訳を増やすより、今胸を張ってキラキラしていたい。

シャウトよ、わたしよ、

「美しくあれ」